政近準子から
政近準子 プロフィール


ファッションレスキュー代表・パーソナルスタイリスト学院長 エグゼクティブパーソナルスタイリスト・ファッションセラピスト
ファッションデザイン専門学校卒業後、大手アパレルにてデザイナーとして勤務。その後、イタリアへ移住。欧米では確立している
プロフェッショナル職業である個人対象のスタイリスト、パーソナルスタイリストの経験を積み2002年「ファッションレスキュー」を設立。
タレント・企業・政治家・個人に至るまで、多くの顧客のスタイリングを手がけテレビ、雑誌、ラジオなど活躍の場も広い。
また2006年には日本ではじめてのパーソナルスタイリスト育成スクールパーソナルスタイリストジャパンを設立した。
いまなお現場を最も大切に、八面六臂の日々を続けている。
今までに、スタイリングを手がけたお客様は
1500人を超える。
老若男女、あらゆる職業、あらゆるシーンに対応できる
パーソナルスタイリストの生みの親。職業の発案者、創始者である。
ビジネスもカジュアルも、フォーマルもリクルートも
どんなスタイリングでも、あなたらしさを惹きだせます。
人間の内面を映し出すようなコーディネートに
常にチャレンジ、人柄が滲む出るような、更に、幅を広げられるような
前向きなファッションを目指す。
ファッションの魅力、楽しさを、出会った人すべてに
伝えていきたい。
プライベートでは、2児の母、一夫の妻、一猫の世話人であり
仕事以外に人生も多いに楽しんでいる。
2008年 秋 8月31日現在
未だ秋モノの購入はゼロ。
昨シーズンまでのアイテムで、秋の気分を出すコーディネートに
チャレンジ。最近の私です。
新しいものがなくても、ファッションは楽しめるものです。サングラス ミュウミュウ
ベスト トゥモローランド
カットソー フェンディー
エナメルベルト RH (サロット)
ショーパン ツイーギー
パシュミナショール ノーブランド
ブーツ 卑弥呼
時計 グッチ
鞄 ココチレ
古着でコーディしてみました。
トップス 役15年前の セ・ブレ
スカート 同じくかなり昔の コムデギャルソンベルトとブーツは昨シーズンのもの。
サングラス ロエベ
ブルーワンピ サロット
テーラードJK トゥモローランド
2008年 夏
チュニック・・・ビームス
ベルト・・・HIROKO KOSHINO
靴・・・YOSHITO
フリンジスカーフ・・・ヴィンテージショッピング同行ファッションです。
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商談 打ち合わせの時は・・・
ありきたりにならないよう印象的なインナー&
シューズで。
ジャケット・・ミキミアリー
パンツ ・・ マイケルコース
レッドシルクプリントブラウス
・・ hype
エナメルコンビブーティー・・
bekkia bolte
★ポイントはチャイナを思わせるシルクブラウス
2007年 秋冬ファッション先取り・・・
季節が変わる時、一枚だけ欲しい!!という気持ちだけに
まかせて自分の物を買うことにしています。
この一枚。
ニットワンピース・・ バレンシアガ
ブーツ ・・ インポート
★ポイントはパープルのタイツ
シルクドレスシューズ・・・プラダ
パーティーウエア・・・日本にもパーティー文化が根付くといいな。
正式なものからカジュアルなスタイルまで。
おしゃれして行ける場所がたくさんあると
元気になります。トップス・・ a.m.j.e (maid in japan)
ロングスカート・・・ maria bonita(USA)
ショール・・・hanaemori
★ ポイントはダチョウの羽でできたショールを
ヘアアレンジに。
「JAPAN 」をテーマにスタイリング。
ドレス ・・ 二コールミラー
二コールミラーのシャイニードレスをそのまま着るのではなく
着物に使う帯(赤 黒のコンビ)を使って味付けを。
通常は後ろで結ぶ帯ですがフロントに結びアクセントに。
(帯、帯締めの結び方は政近準子オリジナル)ヘアーには合計5つの簪(カンザシ)を付け遊び心満載。
扇子をもって更にテンションをあげます。
(パーティーは楽しまないと)靴はフィレンツェの靴工房でオーダーしたもの。
ヒール9,5センチですが、凄く歩きやすいのです。
パーティーでは立ち振る舞いが毅然としている事が一番重要。
キュートなワンピも着ます!
どちらかと言うとシャープとか、斬新とか、個性、という
ようなイメージが強い私ですが
だからといってかわいいものが嫌いなわけじゃない。笑
こういうファッションだって平気でします。
気分もかわいくなるから(?)楽しい、ファッションは。
ホワイトレースワンピ・・・ 若者が行くようなセレクト
ショップで。なんと30000円程度のもの。安くてもトキメクものは
たくさんある。
グレーのブーツが全体を優しく仕上げています。
&ラメグレーの皮バッグで、ワンピース以外はグレーであわせたの
がコーディネートのポイントです。
首に巻いているのはメンズのネクタイなんですよ。
このワンピースも、アナザーエディションで遊び感覚で購入。
ワンピース大好きなので持っているアイテムの中で
一番数が多いですね。
2001年
日本ではじめて個人向けのスタイリスト業務をパーソナルスタイリストと命名しスタートさせる。2001~5年
ファッションレスキュー設立 ファッションのあらゆる方向性とセラピー的な要素を含んだパーソナルスタイリング、パーソナルスタイリストの定義を確立。
メディアからの注目もあり、インターネット上にパーソナルスタイリストを名乗るサイトが続出、本物のパーソナルスタイリストをとの声を受け日本ではじめてのパーソナルスタイリスト育成を決意2006年 日本で初めてのカウンセリングルーム・セミナールーム・撮影スタジオを持つ
パーソナルスタイリングカンパニーとして ファッションレスキュー法人化
有限会社ファッションレスキュー設立2006年 日本初のパーソナルスタイリスト育成専門スクール
パーソナルスタイリストジャパン 設立
いつも時代の空気や匂いに敏感でありながら
流されることなく 自分らしく生きていたいと思います。ファッションは ただ着るためだけのものではなく
また 着飾るためだけのものではありません。より良く生きるため 自分の夢の実現を応援し
自分を励ましてくれるものであり
あらゆる成功への自信を与えてくれるものだとおもいます。
ある時はやさしく
ある時は強く
あるときは静かに
わが身を包んでくれるファッションは私の自己表現の
手段であり コミュニケーションの原点です。いつまでも華やぎを忘れずに・・・・
私の使命
パーソナルスタイリストという仕事を
ライフワークにした理由。
これが私の「使命」です。
洋服の発祥の地 ヨーロッパでは
「装いは教養である」とされています。
幼いころから「何をどう着るか」ということを知識として身につけ
、そのうえでの、自己演出、表現力豊かな装いは
「知恵」として成長していくのです。
自分はどんな人で、どんな人でありたいのかという
自己プロデュース力や
どんな風に見られているのか客観的に見れる力、
自分に似合うファッションを見つけていく力に
優れています。
ファッションを楽しみ、さらりと個性を表現し
シーンに応じた洋服を、迷いなく着ている気がします。
そんな風通しのよいファッションに憧れ
イタリアで暮らした経験から、感じるのはファッションにおいて
いろんな意味で日本がヨーロッパに
追いつくのは100年はかかる、と思っています。
いやもっと、、それ以上かと思ってしまいます。
おばぁちゃんが大切に着ていたという仕立ての良いジャケットを
孫が受け継ぐ。
やっと母から受け継いだバッグを持てる年齢になった、と
微笑むマダムの何と素敵なことか。
若者は若者らしく、工夫し、何気ない流行を自分のものにし
今の空気をまとっているし、
かといってパーティーシーンには、どっきりさせてくれる
あの変化は何なのか。
ハイブランドを身に着けるのは
中身が伴ってからでは格好悪いということも、
憧れのメゾンの服はマダムに任せておけばいいと身の丈以上の
買い物をしないということも
当たり前に身についている。
ウエディングドレスにいたっても、中身が一段と輝けるドレスを
すんなり選び、むやみな装飾を排除した、この一枚を
まぶしい位の華やかさで着こなしてしまう。
そんな女性たちをエスコートする男性たちも
女性たちを輝かせながらも影にはならない装いと演出ができる。
古くから装いは教養であり、美を武器としてきたヨーロッパの
ファッション史は、
家庭で教えられ、受け継ぎ、発展し、繰り返され、
古き良きものはアンティークとして重宝され
新しきものの中に取り入れられながら洋服そのものも、習慣も
ちゃんと残って息づいています。
新しいものに貪欲な感性を持ちながら、ちゃんと吟味する厳しい
目を持ち、時には古着市に出かけ
安価で「味」をプラスさせる。・・・・・
また「良いもの」を見る目が養われ、
洋服の素材感の良し悪し、、仕立ての良し悪しについては
非常に敏感で確かな目を持っている、といえます。
日本はどうでしょう。
母は、私の小、中、高校生のときの入卒業式には
きちんとした和装でした。
お正月の写真、家族旅行の写真でも着物を着ている姿が多い事
今更ながら驚きます。
一緒に写っているおばぁちゃんは、いつもどんなときも着物姿。
父方も母方も、おばぁちゃんは亡くなりましたが、記憶の中に存在する姿は
着物以外思い出せないのです。
母は来年70歳を迎えます。
考えてみれば まだついこの間まで日本人は着物を日常着としても
活用していたのです。
洋服になってからは、まだ本当に間もない、といえるでしょう。
急速に洋服化していった日本。
そのこと事態、これでいいのだろうか?と思う自分がいる一方で
日常の生活の中で着物を着るシーンがないことや、着物をさらりと
着こなせない自分が存在する・・・複雑です。
洋服を着て暮らすことを選ぶなら、
装いを教養として、いったい何を我が息子、娘に伝えていくことが
できるのか?どうすればいいのか?何をどう着ればいいのか、
どんなものを「良いもの」とするのか。
母親として、洋服のプロとして、もっとも重要な課題だと
思っています。
ヨーロッパの家庭で自然に養われる、受け継いでいるような
洋服の知識、教養をヨーロッパのまねではなく、新しく築いていくような
気持ちで日々ファッションに向き合っています。
イタリアのマンマ(お母さん)のように
装いの知識が自然に身につくよう、お客様に寄り添い、
伝えていくことができたら、と思っています。
そしてご縁あってお客様として着ていただいた方たちが、いずれ
ファッションを知恵として、周囲の方に、お子様に、お孫さんに
伝えていってくだされば、お客様の存在自体が、なんらかのお手本となって
影響力を及ぼしていってくださったら、と願い
100年後の日本が、風通しの良いファッションで満ち溢れた国になって
いるよう願ってやみません。
それには、「衣」だけではなく衣食住のバランスがとれた考え方、提案
が重要になってくるでしょう。
日本独自の家屋にマッチしたファッションのあり方、
洋服を着るにふさわしい、家屋に「住」も変化すべきなのか?
アジア人が持つ体系的特長を本当の意味で生かしたファッション、
とは何なのか?
多くの疑問や課題でいっぱいですが自分にできることのすべてを
自分が考える風通しの良いファッションを
地道に形にしていきたいと思っています。
それは私にとって「ファッションレスキュー」が活動の場であり、
そこにいらっしゃるお客様達を通して、形にできるものです。
日本の洋服の歴史を作っていくのは
私たち自身、パーソナルスタイリストのプロが提案するファッションは
日本のファッションの未来に大きく影響すると考えています。
その楽しく重い責任をパーソナルスタイリングという仕事を
通して果たしていきたい、
それが私のライフワークであり、使命だと思っています。
2007、8月。 JUNKO MASACHIKA
プロフィール(詳細)
1、出身地 生年月日 血液型
広島県出身 1965年生まれ A型
広島 → 大阪→ 京都 → 東京 → イタリア → 東京
と移り住む。
2、外見的特長
外見的特長をファッションでどう表現しているのか。?
子供2人を生んだけど、生む前より痩せた。
母親ゆずりの長身 痩せ型
20歳ころから伸ばし始めたロングヘアー
一時期、腰まであったロングを肩まで切ったら周囲から大不評。
またいつの間にかロング。
体系をどう維持しているのか良く聞かれるけど
正直なにもしていない~んです。
太りたいくらいだけど太れない。
ということで背が小さければ華奢ってことで愛らしいんでしょうけど
背が高い、やせやせなので、どこかにボリュームを持たせる着こなし、
を心がけていますね。
ふんわりさせる、ということではなくカラーの使い方とかインパクト
ポイントの付け方の工夫でボリュームを感じさせる装いにする。
あまりシンプルにしすぎると寂しくなる。
そこらへんを調整しています。
3、内面的、性格的特長
内面的特長は、どうファッションににじみ出ているのか?
人と同じことをするのが嫌。
人がやったことはやらない。
誰もやらなかったことをやるのがモットー。
常に新しいことへの興味がつきない。
まず行動、あまり考えない。
アーティスティックなもの全体に惹かれる
ってことは、やっぱり『個性的』な表現のほうが
好きなんでしょうね。人とかぶらないファッション。
まず行動、、、ということからはフットワーク、動きにくいファッションは
しない。ラクという意味じゃなく。
洋服はデザインそのものより、デザイナーの精神のようなもののほうに
惹かれる。
・ 好きな映画
ライフ イズ ビューティフル
ニューシネマパラダイス
ディープインパクト
アメリ
風の谷のナウシカ
大人帝国の逆襲(くれよんしんちゃん) 意外と傑作~っ
カリオストロの城
・ 心に響く音楽
あかいとりことり
なぜなぜあかい
あかいみを たべた
娘が生まれて初めて大きな声で思いっきり歌った歌声
あかいとりことり
・ 好きなものを10個以上
猫の肉球
夜明けの群青色
まりもっこり(キャラクター)北海道版
息子が描く戦争絵画
真面目な娘の性格
雨上がりの葉っぱの匂い
母が作る冬瓜汁
靴 くつ クツ
パーソナルスタイリストという仕事
イタリア
好きな理由がわからない旦那
・ 苦手なものを5個
方向感覚 (迷ったこともわかっていない)重症
電気関係 (電球もまともにつけられない)
ハチ(こわい)
数字関係 算数だめだ・・・
椅子生活 こたつ好き人間
常識
・ 宝物 家族 レスキュースタッフ
想い出が詰まったアルバム
・ 生まれ変わるとしたら?
人間なら、やっぱり『女』
もう一回、自分してみたい。
人間以外だったら 花がいい。
ファッション遍歴
洋服好きの母 縫製関係の会社を経営していた父との間に
生まれる。母の実家は一宮の呉服屋さん。
よだれかけ、の種類が気になった記憶があるくらいだから
物心つく前からファッションに目覚めていた・・・と思う。
~3歳 男の子みたいなショートカット、茶色い地毛に
お出かけの時は手作りのニットセーターや
ワンピースドレスでおめかしさん。
~7歳 幼稚園の制服がいやだった
でもベレー帽はお気に入り。
白いタイツがなぜか好きだった。
姉のお古がちょっと嫌。
丁寧な刺繍が施してあるブラウス類に心奪われる
~12歳 おしゃれより運動好き小学校低学年
制服があったからだろうなぁ
おしゃれにも恋にも目覚める高学年
父が買ってきてくれたパンタロンに夢中。
母の手編みのマフラーがお気に入り。
その時代では斬新な狼ヘアー マッシュルームカットにも
チャレンジ。
ファッションの道にすすむだろうと考えはじめたころ。
~15歳 思春期は、、、わかりやすい反抗期。
制服をいじるくらいしかおしゃれの楽しみがない生活スタイル。
学校 部活 塾 学校 部活 塾・・・
いつおしゃれすんねん!!(ストレス)
でも勉強しに行くはずの塾におしゃれしていってました。(恥)
サロペットパンツ ビックシルエットのセーターなど
着る時もないのに買ってもらい満足。
~18歳 反抗期延長 制服いじりはもう職人技高校生。
ブレザーは短く細く全解体して作り直し。
スカートは超長い→ 超短い の両方。
聖子ちゃんカット。
陸上部だったので、走る時までお洒落意識。
当時 オニツカタイガー全盛、その後初めてナイキ登場。
ナイキのランニングシューズを買うためないしょでバイト。
高2になったころから、おしゃれに対する情熱が爆発。
修学旅行ではくコンバース、ポロのソックスを手に入れるのに
必死。
このころコムデギャルソン、Y’Sに出逢う。
勝手に運命的出逢いをかんじる。
ギャルソンの深い黒、斬新なかたち。。
Y’Sの墨黒 ・・・ 見たことがないデザイン!!
生まれて初めての言葉にできない感動があった。
いや、感動しているのかどうかもわからない。
初恋のような気分だった。頭の中がもう そのことばかり。
その出逢い後は一気にデザイナーブランドへの興味に走る。
ファッションの道に進むことに迷うこともなくすでに決めてい
た。
確信的なものだった。
~21歳 ファッション専門学校時代
ギャルソン 耀司 に魅せられながらもBIGI 二コル 三宅
一生 KENZOなど多くのDCブランドの服に袖を通す。
学生の身分でブランド物ばかり買えるはずもなく
ギャルソン もどきを自分で作成したりして着ていた。
TOKIO KUMAGAIの靴にLOVE.
デザイン学科だったが洋服を作ることより組み合わせる、コー
ディネートすることの楽しさのほうが上だった。
ディスコブームで 散々遊びもしたけど専門学校、バイト 専門
学校 バイト生活。
バイトで入るお金は洋服代に消えた。
阪急ファイブで販売員のバイト。
洋服作りの基礎、デザインの起し方、素材、など洋服の知識は学
校で学んだけど学ぶことより工夫して着ること、おしゃれすることに情熱を燃やす。
髪はソバージュ 真っ赤な口紅 太い眉毛。
当時ジーンズはダサい象徴だった。ディスコではジーンズお断
り、というところさえあった。もちろんジーンズなんて履かない、カジュアルはイカシ
テナイ、という感じがあった。
~24歳 東京進出 大手アパレルにデザイナーとして就職。
百貨店中心に販売される洋服のデザイン、パターン作成に
明け暮れる毎日。
この頃、ロメオジリ、トキオクマガイなどに夢中になりながら、
次第にブームになる予感のアルマーニ、フェレなどに興味を持ちはじめ
る。
バブルに乗って洋服ももうバブリーバブリー!!
一方でパターンや素材を知れば知るほど 本当に良いもの、とは
何なのか?といったような疑問も生まれる。
自らが洋服を作り出せるという環境にいたため、多くのことを学
んだ。
が、売れる商品の追求をしていくことに終止符を打つ。
ワンレンボディコンブームで一世を風靡したボディ^コンシャス
スタイル、
一応やってはみたが(若気の至り)しっくりくるはずもなく、ハ
イブランドへの移行。
~27歳 アルマーニ フェレ エレウノなどを買いあさり、当時しゃれた海
岸沿いのバーで遊び過ごした後、イタリアへ渡る。
フリーのデザイナー、コーディネーターとしても仕事があった
し、まだITがなかった時代、海外の情報は収入源になる。
イタリアでも年相応、身の丈ではない暮らしをする中で、アパレ
ル時代にあたった壁、疑問に再度ぶつかることになる。
そのもやもや感はいったい何なのか?
アルマーニもフェレもイタリアでは鎧のようなものでしかなかっ
た。私にはまったく似合いもしないのだから。
イタリアでの暮らしの中で自分はもちろん 日本人のおしゃれ
感って、やっぱり変だ、かっこよくない、と気づく。
たぶんきっと気づく前から感じていた。感じることを避けてい
た。
感じて気づくことが
怖かったのかもしれない。
イタリアで脱ぎ捨てたハイブランド。
ジーンズスタイル中心の生活がはじまった。
暑い日は半パン、気楽で自由な気がした。ファッションを変える
だけで。そのころのスタイルは
シスレーとかベネトンとか軽いカジュアル、リーズナブルな価格
でもブラーバなアイテムを探し、休日には河川沿いの古着市場に出向いた。
身の丈にあったファッションが板についた頃、イタリア人の友人
たちに言われた言葉
「準子って怪しい仕事をしてる奴かと思ってたよ、前はね」
20代でハイブランドを着ていきがってる女なんて、カッコよくも
なければ羨ましいとも思われることもなく、ただ変で不自然なんだってこ
とをやっと思い知る。
『最近はかわいいよ、センスいいんじゃん』みたいなことを言われ
た時生まれて初めて、本当にちゃんと服で褒められた感じがした。
それまでは褒められていても本当に褒めてない。ブランドがいい
ねって言ってただけなんだ、、そんな気がした。
カジュアルで何気ないファッションを覚えたのと同時に
オペラ鑑賞やパーティーにも多く出向いていたので、ここぞという
時にちゃんと装う、昼間の雰囲気とガラッと変えてセクシーに装うこ
との楽しさも知ることになる。
~32歳
27歳で結婚 28歳 長男誕生
32歳 長女誕生 2児の母となる。
この間 ニューヨークにも滞在し、NYのパワー溢れるファッションの
面白さも知る。
自分らしさ、というキーワードより、生き残りをかけたような
主張がなければ誰も振り向かない。
かといって、かつての私のような雰囲気とは違う、個人の「力」を
感じるファッション。
プライベートでは、人生の大転機、結婚、出産を経験。
子供を授かることの素晴らしさ、育てることの大変さ、家族を持つこと
で心の充実を知る。
それまでの自分は「自己表現」すること、「想いのままに装う」ことに
壁はなかった。
しかし、子供を持つことで「壁」ができるわけだが、
子育てを楽しむことで壁は「幅」に変わった。
スニーカーをはき、子供達と走り回る、ママ友達との公園デビューは
水場でも気にせずはしゃげるファッションを。
・・・・自分中心ではない 子供とのコミュニケーションをとれる装い、
自分の装いばかり気にしたり、きばった気持ちなんかもっていても
子供にとっては安らげるママとは言えない。
人の目より子供達のために、一緒に散歩をする主人、子供との
バランスを大切にしたファッションは、自分の心も解放されるようだった。
ファッションの幅を広げる楽しさを本当の意味で体感したのは
子育てという新しい世界を経験できたからだろう。
~35歳
子育て、仕事、家庭、 多忙な毎日を送る中、自分の体の異変に
気づく。当時治療法も確立していない不治の病に倒れる。
薬の副作用で、体中の皮膚がぼろぼろに。眼は腫れ、外見的
醜さを伴う苦痛、精神的にも限界になるが、洋服やメイクで
隠せるところは隠し
気分を変えて、えい!と仕事、外出をしているときのほうが
自分は元気でいられることに気づく。
治療法がない、不安な毎日を救ってくれたのは、温かな家族、周囲の
人たちの支えだった。
そして大好きな洋服が、萎える心の後押しをしてくれたのだ。
鏡と向き合えない、自分の体を見たくない、というような明日が見えない
日々を経験したことで、
心の幅が広がった。
どんなに辛いときも心まで病んでしまわなければ、
いずれ光が差すと信じていられるものです。でも苦しい日々を、ただ
ひたすら耐えているとやっぱり萎えてしまう。
そんな時、もともと大好きだったファッションが、毎日の心の
状態を多少なりとも良くしてくれた。
このことが 症状が落ち着いたら立ち上げようと決心していた
「パーソナルスタイリスト事業」を、更に固い決心に変えていく。
また社名をファッションレスキューとしたのも
自分がファッションによって救われたから、思いついた名前なのです。
~現在
40歳を越え、もう若いとは言えない年齢になった今、
「今が一番ファッションを楽しんでいる」と心から思います。
だから年を重ねることが、おしゃれにとってマイナスだとは思わないし
熟女だからこそ輝くファッションに毎日チャレンジしています。
しみやしわも日に日に増えるけど
いちいち気にすることもなく、白髪を見つけると ため息は付くものの(笑)
まぁ、いいかと更におしゃれ意欲が増す毎日。
気を抜いても
気合を入れても 自分だから着こなせる心地よく風通しの良い
ファッションに身を包み 日々すごしています。
私の日常は、ファッションとともにあり、過去の経験のすべてを生かして
自分がファッションに救われたように
世の中でファッションで悩む膨大な数の人たちを、一人づつ救っていく
つもり。
この年になって
やっとこさ ブランド物にも負けなくなったかなと、最近はポイントで
身に着けることも多くなった。
自分をこの世界に導いたギャルソンやヨージの世界には相変わらず
ときめくし、チープだけど、これ可愛い~!みたいなアイテムに出会えると
ウキウキ。
この秋、秋の気分を取り入れようといち早く購入したのは
バレンシアガのパープルネイビーのニットワンピースです。
こういう特徴あるデザイン物も、やっと気張らず楽しく着れるように
なったけど、ファッションはまだまだ奥深い。
私なんて ヨーロッパの50代 60代 70代マダムには足元にも
及ばない!!
これからも新しい自分発見を楽しみながら
ファッションの世界に魅了され続けていくことでしょう。
パーソナルスタイリスト・ファッションレスキューお知らせ
個人またはグループ(企業、サークル、チームなど)を対象とした、パーソナルスタイリスト、ファッションコーディネート・業務全般をおまかせください。
ファッションレスキューは「おしゃれ」に対するすべての悩みを解決し、願いを叶えます。
2008年 夏




