ビジョン

 

 

おしゃれって何なのでしょう?

私自身、約20年ファッション関係の仕事に携わってきましたが
いまだにその答えにはたどりついていません。
なぜならファッションは流れるものだからであり、また様々な経験や
人々との出会いのなかで私自身が考えるおしゃれに対する固定観念が
いつも見事に崩されていくからです。
時代が流れ、世紀が変わり生活様式や習慣にも変化が現れるとともに
10年前に良いとされていたものが、ファッションだけではなく
あらゆることにおいても良いとはいえないものになってしまう。
古く感じたり、必要を感じなかったり時の流れは人の価値観すら
変えてしまう。
だからこそ、もしかしたらファッションは楽しいのかもしれない。
だからこそ伝統に惹かれたり新しいものにどきどきしたりするもの
なのでしょう。
答えがない「おしゃれ」の世界だからこそ、終わりなきファッションの
たのしみを味わっていけるのかもしれません。
青春時代をDCブームの中で過ごし、ブランド信者のように好きなブランドを買いあさり満足してきたあのころ、、、
6畳一間のワンルームに暮らし、服を買うためにアルバイトに明け暮れ
買いあさる洋服には不釣合いである生活状態であるにもかかわらず
見栄と欲望から、デザイナーズブランドを着ていたかった自分。アパレル企業でデザイナーを経験した後、様々な思いを胸に
不意にイタリアに飛び、フィレンツエで暮らすようになった頃から
本当のおしゃれって何なのだろうと考えるようになりました。
考える機会を与えてくれたのは、日本ではなくイタリアの地でした。
街並みそのものが芸術的であるフィレンツエには、レンガ色の風景に
溶け込んだ自由でそのひとらしい装いのなかには
見るものにも心地よさを感じさせる、ファッションの楽しさがありました。
肩や見栄をはるのではなく自分らしく装うことの素晴らしさを知ったのです。
ブランドに頼ることなく服に着られるのでもなく
着る人が洋服を引き立たせるのだという当たり前のことにやっと気がついたのです。ファッションに大切なのは洋服だけではなく
ライフスタイルとのバランス、いわゆる衣食住のバランスがとれていること
が自然でカッコいいのであって
貧乏人が無理をして高級な時計をしてみても、それは自己満足に過ぎず
見るものにも心地よさを感じさせるものではないし
流行っているからといってボーナスのすべてをブランド物のカバンに注ぎ込むなら
ちょっと広めの環境が良い場所に引っ越したほうがスマートだというような
ヨーロッパでは常識に近いようなことが、私には正直わかっていませんでした。
そういったバランスを保つことも、おしゃれのひとつであり
だからこそ本当に人生も楽しめる素敵なイタリア人達から学んだことの
すべてはここに書ききれるものではないけれど、あのイタリアでの生活が
なければ大切なことに気づくことはなかったかもしれません。昼間カフェでおしゃべりを楽しんだ友人が夜のパーティーではがらりと
美しいレディーに変身し、同姓の私までもがどきどきするほど、その変身ぶりに楽しませてもらったり、、、プライベートでしか会ったことがない友人のオフィスを尋ねたら、キリリとスパイスが効いた「できる女」を感じさせてくれたり、、、
熟年の夫婦が明日行われるパーティーに着ていく服をきめるのに
クローゼットの前でお互いを褒めあい、気の遠くなるような時間を費やし
パーディーの前からすでに楽しんでいる姿に感激したり、、、
ファッションだけでなく人生そのものを楽しみ、人生を楽しむために
ファッションはあるのだと教えられました。彼らの装いには決して無理がなく、無理がないから本物の輝きを放っていました。様々な経験の中でいまだにおしゃれとは何か?という答えにたどり着けない
私が、そのうえで「おしゃれとは」と自分で問いたときおしゃれとは ひとまねや見栄ではなく そのひとらしさなのではないかおしゃれとは 1朝1夕にはできないもの、失敗を繰り返す中で磨かれて
いくものではないか
お金さえあればいいというものではないから、おもしろいのではないかおしゃれとは自分自身をよく知った上で、そのイメージを表現、演出すること
ではないか そのイメージ、あるニュアンスをつけるために何らかの
こだわりをもつことではないかおしゃれとは自己表現であり ある意味その人自身でありそのひとの
生き方やアイデンティティーまで映し出すものではないかというようなことを考えています。恥ずかしながら多くの失敗と多くの無駄な投資をしてきた私ですが一見無駄に感じる経験と投資と時間がなければ 今の自分へと
たどり着けることはなかったでしょう。私は今、人生の折り返し地点にきているという年齢ですが
今までの人生の多くをファッションやお洒落といったことを
考えることに費やしてきました。
お洒落に関するたくさんの考えはあるけれど
最後に言いたいのは、なんだかんだいっても「お洒落」を意識して
いるうちはまだまだお洒落な人とは言えないということです。
すなわち、私自身もこれだけお洒落にこだわっているわけですから
決して「おしゃれ」とは言えない人物であり
あと20年はかかるかな、と計算しています。笑お洒落とはつかみどころにない不思議なものでもあるけれど
残りの半生をその魅力にとりつかれながら送っていくことは
ほぼ間違いないと確信しています。おしゃれが人間だけに与えられた特権であり、うまく生きていくための
、もしくは夢をかなえるための手段の一つだとしたら
あなたがあなたらしくあるためのお手伝いをする人がいても良いと
思います。
そんな考えから、あなたとともにお洒落を実現していくために
ファッションレスキューは存在しています。おしゃれは誰もが楽しむもの
あなたがなりたい自分になれるのも、ファッションの力あってこそだと
思います。

JUNKO MASACHIKA

 

政近準子のコーディネート理論。

*ファッションコーディネートの達人とは

まずは、自分自身が着ていて楽しい、ワクワクする、心地良い、という
自分が納得してコーディネートしている、ということが大前提
である。

イメージを決め付けず、様々なTPO(時間 場所 目的)に
あわせ、そのときの気分で「変身」できるような
臨機応変さ、遊び心があると、自分自身が楽しいだけでなく
見ている人たちにとっても「ありがたい」存在になれる。

いつも同じ人、同じ雰囲気なのが「良い」とされやすい
日本では、素敵な人でも何度かあっていると飽き飽きしてしまうから
もったいないと思う。

ビジネススタイル、パーティースタイル、アウトドアスタイル、
プライベートスタイル、ルームウエアというカテゴリー分類だけではなく
キュート、フェミニン、マニッシュ、クール、などのイメージ分類
などスタイリングを分類する手立てはいくらでもある。
なのにビジネスでお会いしたときは素敵なのに
プライベートで待ち合わせると。。。「?」だったり、
いつも女っぽくフェミニンなのはいいが、アウトドアに誘うとダサい人
などが存在してしまうのが事実である。

私はスマートに、その場に応じて自己演出できる人が
コーディネートの達人だと考える。
一言にまとめると、着こなし術の幅が広く
その着こなしのすべてに「個性」「そのひとらしさ」を
感じることが出来る人は
間違いなくコーディネートの達人である。

次に重要なのは、着回しを考え、無駄なく本当に活用できる
アイテムを購入できる、という着まわし術に長けた人は
コーディネートの達人である。
いろんなイメージを演出するには いくらお金があっても
足りないじゃないか、と思う人はその時点で
コーディネートの達人とはいえない。
一枚のジャケットを選ぶとき、
一つのコーディネートしか思い浮かばないようでは
ファッション自体ストレスになるだろう。
ジーンズ=カジュアル、としか想定できない人は、かなり
幅の狭いコーディネートで甘んじているはずだ。

決して多くはないワードローブでも衣装持ちに見える人は
うまく着まわし、多くのイメージを表現できる人である。

そのような達人が多く存在しない日本では
沢山のファッションに迷える人たちであふれている。
ファッション自体に拒否反応がある人も多いが
一見、自信ありげに見える人たちの中にも、実はこれでいいのか
答えが欲しいとレスキューの門を叩く人たちの
なんと多いことだろう。

それはすべて、ファッションコーディネートの軸となる
着こなし、着まわしの仕方がわからない
自分らしさをファッションで表現できない人たちなのである。

この二つを制覇できたら
世界が変わるほど毎日が楽しいはずなのに。

ではそのためにどうすればいいのか。
着こなしについて、
まずは「素」に返り、自分がどのようなファッションが好きなのか
無理やりでも考えるといい。
多くの人に、この単純な質問を繰り返し、紙に書いてもらって
きたが、一つのイメージだけが好きだという人にはほとんど
お目にかからない。
少ない人でも自分は無理だろうといいながらも3つ以上の
イメージを書き出すことが出来る。
自分には似合わない、などと決め付けるのはもったいない。
まずはチャレンジすることだ。
新しい自分にきっと出会えるから。

着まわしについては まずは自分のワードローブを整理
すること。3年以上着ていないものはよっぽど思い入れがないもの
以外は破棄することをお勧めする。

ワードローブは頭の中と同じ。整理できない人は頭の中も
整理が出来ない。古臭いもので埋め尽くされたクローゼットは
時代から外れた感覚になってしまう。

本当に必要なものを吟味しようという心意気が
着まわしの達人の第一歩である。



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